寛解導入療法~JALSG APL97~
その笑い声が耳元で大きくなっていき、枕元に誰かがいて金縛りになった。
なんとか解いてナースコールを押した。
看護師さんが来てくれて、安心して、ボロボロ泣いた。
昨日の骨髄穿刺(マルク)の胸の痛みが残っているのも訴えた。
自分が思ってる以上に、告知のショック、治療や死の恐怖があるのだと思った。
WBC 12900
Hb 7.2
PLT 6.9
GOT 88
GPT 64
LDH 1173
PT 59%
APTT 37.5
Fib 129
Blast 10.0
ProMy 45.0
(寛解導入療法 Day1)
告知の翌日から、寛解導入(JALSG APL97)の治療が始まった。
M3の特効薬、ベサノイド(ATRA)
キロサイド 7日間
イダマイシン 3日間
抗真菌剤、抗菌剤などの飲み薬
化学療法(抗がん剤)の副作用の説明を聞いて、とても怖くなった。
吐き気、嘔吐、脱毛、骨髄抑制、倦怠感。
寛解(白血病細胞が全体の5%以下)を目指すため、強めの治療をすると言われた。
吐き気止めの薬を入れてもらっていたけど、夕方から吐き気がきた。
病院の食事は食べられず、アイスを食べた。
抗がん剤治療、2日目以降は、ずっと船酔いのような感じで、吐き気が続いた。
飲めず、食べられず、何度も嘔吐して苦しかった。
加熱食の臭いがダメで、食事もほとんど食べられず、ゼリー、みかん、アイスなどを恐る恐る食べるも吐いた。
輸血しながらの抗がん剤治療。
体が本当にしんどくて、気持ち悪くて何もできない。
嘔吐、下痢、微熱が続いた。
本当に辛いよ…
覚悟はしていたけど、想像より何倍もきつい。
本当に辛いよ…
覚悟はしていたけど、想像より何倍もきつい。
こんなのが続いて、乗り越えられるのかな。
輸血も毎日のようにしている。
今の私は、献血してくれた見知らぬ人たちの善意で、助けられているんだと感謝した。
会社に連絡して、病名と入院治療のことを話した。
後から友人からメールが来て、「戻ってくるのを待ってる」とくれた。
「復帰できるように頑張る」と返信した。
クリーンルームは、携帯やネットの電波が悪くて、通話やネットはほとんど繋がらず、
メールくらいしかできなかった。
妹がネットで、白血病のことを色々と調べてきてくれた。
同じM3タイプの人の体験記など、プリントして持ってきてくれた。
白血病を克服して元気になった人たちの姿。
旅行やショッピングを楽しんだり、仕事をしている人たちのことを知って、すごく勇気と希望をもらえた。
私も絶対大丈夫!
Dr.を信じて頑張ろう!
主治医のDr.は、土日も毎日のように来てくれた。
今年、この病院に移ってきたばかりで、アメリカで遺伝子の研究をしていたというドクターは、お医者さんぽくなくて、研究者のような感じに見えた。
最初は主治医だとわからなくて、看護師さんに確認して、ようやくわかったほどだった。
口数も少なく、とてもシャイで、あまり目を見て話してくれず、最初は私を研究対象のように見ている感じだった。
けれど、とても温和で優しくて、病気に関する質問をすると、すごく詳しく説明してくれた。
看護師さんたちからも、とても信頼されているドクターで安心した。
「M3は昔はDICで出血死が多く、一番治療が難しい病気だったけど、ATRAが開発されて
一番治しやすいタイプになった」
「でも肺炎とかで亡くなる人もいるから、気をつけないといけない」
とDr.から聞いた。
どうかあと4~5か月間の治療、危険な状態もなく無事に退院できますように。
夜は睡眠導入剤を飲んでも眠れず、Dr.から2回までは飲んでいいと言われて、毎晩2錠飲んで、なんとか3時間くらい眠れた。
不安、孤独、恐怖心。
みんな誰しも、自分が白血病やガンになるなんて、まして20代でなるなんて、考えてもみないと思う。
健康であることが、当たり前のように思って、毎日明るい未来を想像して過ごしている。
それがある日突然、一瞬で未来への扉が閉ざされたような、真っ暗闇へ突き落されてしまった。
もう、みんなとは同じ一般の人生のレールから、外れてしまったんだと疎外感を感じた。
治療も怖いし、死ぬのも怖い。
白血病の自分の体からは、どこにも逃げられなくて、絶望感に襲われる。
健康な時には、漠然としか想像できなかった、"自分の命が終わる"ということ。
死と隣り合わせの状況になって、初めて死の恐怖をリアルに感じる。
「一人じゃないよ」
「自分で自分を励ましてあげて」
そんなメールをもらって、クリーンルームに一人いる寂しさを紛らわすために、自分への励ましの言葉をノートに書いたり、自分宛にメールを送ったりしていた。
"苦しい時の神頼み"のように、毎晩、寝る前に、神様やご先祖様にお祈りをするようになった。
「明日も目が覚めて、この世に生きていられますように…」