白血病退院後の生活~QOL~



退院となった、2004年3月下旬から、徐々に普通の生活を取り戻していった。

4ヶ月ぶりの外界の生活はとても新鮮で、コンビニのお会計で店員さんと接するのも、なんだかドキドキして浦島状態だった。

「ウィッグがばれてないかな?」
「病人とわからないかな?」
と周りの視線が気になった。


退院後のマルクで悪い細胞は消えていて安心した。
マルクの検査結果を聞くときは毎回ドキドキする。

血液データも回復した。
普通の人と同じように、生ものも食べられるようになった。
感染に注意して脅えて暮らさなくてもいいようになり、ひとつひとつ普通の生活ができるようになって嬉しかった。

数か月ぶりに食べたお寿司の味は、格別に美味しかった。


入院中に痩せて、体力も落ちて、日常生活をするだけで疲労感があった。

体力を戻すために、少しずつ散歩やヨガをするようになった。
心もスッキリして、とてもいい気分転換になった。


看護師さんには、「こんな辛い治療を乗り越えたんだから、もう怖いものはないよ」と言われたけれど、実際は、普通に悩んだり落ち込んだり変わらない。


逆に「死」や「病気」に対して、すごく恐怖心が生まれた。

体調に敏感になって、少しでも異常があると不安になる。

維持療法の副作用が辛くて、心折れそうになったり、芸能人の白血病発症や再発、亡くなられたニュースに動揺した。

4ヶ月の闘病生活で精根尽き果ててしまい、もうこれ以上は頑張れないと思った。


がんを患った人たちは、みんなこんな恐怖、不安を抱えながら生きているのだろうか?

心から安心感を得られるようになる日がくるのだろうか?

薬を飲まなくても、眠れるようになる日がくるのだろうか?


時々、現実逃避で空想の世界に入っていたり、また別の病気になってしまうんじゃないかと心配になった。


入院生活は人生の回り道で、また元の道に戻れるんだと思っていた。

だけど、実際は、それまでの人生のレールの列車は降りて、別の線路の列車に強制的に乗り換えて、新しい人生がリスタートしたように感じた。

以前の自分とは価値観も体も心も、全く別の世界を生きている。


普通の生活ができることに喜びを感じる反面、落ち込んだり、悩んだりすることも多かった。

歯科や眼科などの医院に行くのにも、問診票の既往歴の欄にいちいち考えてしまう。

電車やバスなど利用する時は、しんどくて座りたくても、見た目は健康人に見えるので、座れなくて辛いときもあった。


退院して間もない、まだ髪の毛がほとんどない暑い日。
薬の副作用からか目の調子が悪くなって、帽子だけ被って眼科を受診した。

私を見たおばさんの助手の人に、「室内では帽子を脱ぐのが常識よ!」と怒られた。

ドクターと担当の助手さんには事情を話していて、許可をもらっていたけど、院内にいる病気のことを知らない人たちには、ただの非常識な人間に映ったのかもしれない。

病気のことを皆の前では言いたくないし、帽子を脱ぐと髪の毛がないので、絶対に嫌でできなかった。


ショックで何も言い返せなくて、すごく悔しかった。

みんな自分の価値観で人を勝手に判断する。

きっと目の前にいる人が、白血病で抗がん剤の副作用で髪が無くなってしまったなんて、思いもしないのだろう。

その人の想像できる範囲の、小さな常識を振りかざしてくる。

それが時に人の心を傷つける凶器になるとも知らずに。

ベテランの医療人でさえ、その程度の想像力しか持ち合わせてないんだと、正論ぶって私に言ってきたおばさんが、とても醜く愚かに思えた。


私たちの周りには、いろんな病気や事情を抱えた人が生きている。

自分の知っている世界だけが、全てではないのだ。

常識って一体なんなんだろう?

そんなに大事なことなの?

そもそも誰が決めたことなのか?

人の心を傷つけてまで、守らないといけないものが常識なら、私はそんなものいらないと思った。


帰り道、悔しくて涙が出てきた。

いつも優しく気遣ってくれていた入院病棟の中とは違って、一歩外に出ると、健康であることがベースの世界になっている。

白血病患者には、厳しく生きづらい世界だと思った。


ウィッグは夏は暑くて蒸れるし、強風が吹くと、思わず頭を押さえてしまう。

何かの拍子に、外れてしまわないかとドキドキしていた。

ちゃんとした、かつらも購入したけれど、どうしても違和感、かつらを被ってる感があって、ほとんど使用できなかった。

髪が伸びてきて、短髪の男子のような状態で美容院に行くときは、すごく勇気がいった。


街ゆく人たちが、みんな健康で幸せそうに見えた。

死、病気、再発のリアルな恐怖心なんかなくて、毎日を過ごしている人たちが羨ましかった。


不安な気持ちを拭いたくて、病気のことを調べようとネットで検索すると、ショックを受けたり、恐怖に駆られることもあった。

ネット上には、自分が知りたいこと、そうではないことが、洪水のように溢れていて、自分が知りたい情報を得るのも難しかった。


退院直後は、
生きて退院できたこと。
自分の布団で眠れること。
好きなものを好きな時に食べられること。
自由の身になれたこと。

何気ない日常に、幸せを感じていたけれど、やっぱり人間として、この社会で生きていく上で、それだけでは満足になれなかった。

「以前のように、もっと~したい」
「前の自分なら~できたのに」
と、以前の自分と比べて、できなくなったことを嘆く気持ちになる。


これから仕事、恋愛、結婚などできるんだろうか?

いろいろなことが頭をめぐって、白血病の病歴があることが、自分の人生の重荷のように感じた。

みんなが普通にできることが、とても大きなハードルに感じる。


人間は生きることに、すごく貪欲なんだと思った。

それがプラスになると、向上心となり頑張る燃料になるけど、不満に思って、ストレスになったりもする。

白血病を患った、自分のこれからの人生をどう生きるか?
自分はどうありたいのか?

日々悩み葛藤していた。


世間一般の人とは合わなくなった。

みんな仕事、人間関係、子育てなど、愚痴っているけど、私からしたら羨ましかった。

仕事ができる健康な体があって、パートナー、子どもを授かって、家庭を築いている。

今の私は、ただただ、
この先も生きていられるのか?

明日も明後日も、来月も来年も、この世に生きていられるのか?

そればかり考えていたから、世間の人たちの悩みを聞いていると、「そんなに嫌なら私と代わって欲しいよ!」と思っていた。


きっと今、入院治療している人からしたら、今の私でも病院の外に出られて、とても羨ましいと思う。

健康であることが、どれだけ幸せなことかみんな気づかない。

当たり前と思っている。

私もそうだった。
失って初めてどれだけ大切かがわかる。


TVのニュースでは、海外で人質になった日本人の方が、ナイフを突きつけられてる映像が目に飛び込んできて衝撃を受けた。

そして、世間は"セカチューブーム"になり、辛かった。

「白血病=死」のようなイメージが広がって、誤解されているように感じた。

セカチューのような内容だと、自分も死んでしまうんじゃないか?と憂鬱な気分になってしまう。

今の自分には、そういった涙や悲劇のストーリーより、希望を見いだせる、勇気がわいてくるストーリーしか観れない。


この世に生きたいと毎日願って、必死に治療を頑張って、やっと外の世界に戻ってきたのに、この世界は言葉にしろ行動にしろ、バイオレンスが充満している。


人の心や体を、簡単に攻撃したり、傷つけ殺してしまう。

TV、映画、音楽、インターネットなどのメディアから流れてくる、そのバイオレンスなものに耐えられなくなった。

とても美しい、癒される自然や感動のある世界でもあり、暴力や醜いものが散乱している世界でもあるんだと思った。


時折感じる、強烈な孤独感。

周りの人たちが皆、地上の明るい世界に生きる人たちに見えて、自分は地下の光が見えない、真っ暗なトンネルにいるようだった。

どうやったら明るい世界、皆がいる地上に上がれるのだろう?と、ずっと光を探していた。


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