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5月, 2015の投稿を表示しています

クリーンルーム解除~大部屋生活~

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やっぱりここが現実なんだ…… 朝、目覚めるといつもそう思っていた。 近医を受診してから怒涛の日々。 クリーンルームにいることが、どこか夢の中の出来事のようで、目が覚めたら、自分の家に戻っているんじゃないかと、そんなことばかり考えていた。 過酷な現実が受け入れられなくて、ここにずっと入っていたら、精神的におかしくなりそう。 もうずっと出られなくなるんじゃないかと、不安と恐怖に襲われる。 もうストレスが限界に達していた。 クリーンルームも2週間以上経過し、体も回復してくると、窓からは空も地上も見えない 殺風景な景色で、閉鎖された空間にいることが、精神的に苦痛になってきた。 ストレスから胃痛がひどく、食べられない。 胃痛、下痢、不正出血、目の上の吹き出物の炎症。 WBC  1800 好中球 648 Hb      7.3 PLT     5.5 CRP    1.6 (Day 15) 2回目の骨髄穿刺(マルク)をした。 前回の時のことを思い出し、すごく緊張していた。 「痛いかな…ナーバスになってる」と話すと、 同い年の優しい看護師さんが、処置の間、手を握ってくれて、声をかけて励ましてくれた。 クリーンルーム、17日目の夜。 ようやくクリーン解除となり、クリーンから出ていいと言われ、シャワー室に行っていいと許可が出た。 わーい嬉しい! シャワーできる! 自由に動ける! 院内のコンビニに行ける! クリーンからようやく出られて、初めて自分が入っていた病棟は、こんな世界だったんだとわかった。 改めてクリーンのすごく狭い世界に、閉じ込められていたんだと思った。 救急車のストレッチャーで運ばれ転院し、クリーンルームに直行したあの日。 何がなんだか、よくわからない状態だったので、家族や看護師さんに、病棟の様子を聞いていた。 ようやく念願のクリーン解除になり、看護師さんにフロアを案内してもらった。 シャワー室、食堂、デイルーム、ナースステーション。 こんな風になっていたんだと、違う世界に来たような、不思議な感覚だった。 フロアをほんの数メートル歩いただけで、すごくしんどくて息切れがした。 ずっとベッドの上でいると、こんなに体力、

不思議な体験・孤独との闘い~クリーンルーム~

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体が重い、熱い、苦しい。 地獄のような場所にいる夢だった。 朝、目覚めた時、今いるクリーンルームの環境が、とてもいい場所だと思えるほど、重苦しい夢を見た。 クリーンルームにいる間、不思議な夢を見たり、体験をした。 ドクターや看護師さんのオーラのような、色のついたエネルギーが見えたり、人のエネルギーが残り香のように、部屋に残っているのを感じた。 物のエネルギーも感じて、物質が呼吸をしている生き物のように感じた。 窓も開けられない、閉鎖された空間にいると、感覚機能が鋭敏になった。 今まで見えたり感じたりしなかった、エネルギーを敏感に感じるようになった。 クリーンルームの空間は、あの世とこの世の境界線が薄い感じで、窓のカーテンの向こう側には、あの世の世界があるような、すごく近い感覚がいつもあった。 自分の意識が死の方へ向いて、もうこんなに治療が辛いなら、死んだ方が楽になれるとか ネガティブな感情でいっぱいでいると、死や地獄の夢を見たり、金縛りにあったり怖い体験をした。 反対に、神様やご先祖様、「生きる」ということに、強く意識が向いている時は、そばに誰かが見守ってくれているのを感じていた。 ノートや携帯に自分の気持ちや、願い事を書いたりしている時、常に誰かが側にいて、それを読んでいるような気配を感じて、不思議とそのノートに書いた願いが叶っていた。 だからもう怖い体験はしたくないと、いつも自分の意識に気を付けて、自分が元気になっている姿を強く思い描いていた。 ちょうど、クリーンに入って2週間近くになる頃、タレントの吉井怜さんの闘病記のドラマが放送された。 2000年に急性骨髄性白血病を発症し、骨髄移植をされて、元気になって仕事に復帰されていた。 ドラマは自分の状況と重なりすぎて、見ていてすごくblueになってしまったけど、ロングヘアーになって、骨髄移植されたとは思えないくらい、元気で綺麗な吉井怜さんの姿を見て、とても勇気づけられた。 今の自分の体は、沢山の内出血のアザや針のあと、鎖骨にはIVHカテーテル、脱毛。 体も心もボロボロで、とても元の姿に戻れるのが想像できなかったけど、吉井怜さんが元気にTVに出てる姿を見て、「自分も元に戻れる!」と希望が持てた。 母

抗がん剤副作用・脱毛~クリーンルーム生活~

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1本、2本、3本… 朝起きると枕についた、抜けた髪の毛を数える。 抗がん剤の副作用で一番恐ろしかったこと。 髪の毛が全て抜け落ちるということ。 抗がん剤治療が始まって、1週間~10日頃から、パラパラと髪の毛が抜けるようになってきた。 洗面台でシャンプーしたら、200本くらい抜けてしまった。 とうとうこの時がきてしまったんだと。 やっぱり自分は、白血病患者なんだと実感して、ショックだった。 最初の頃は、抜けてしまった髪の毛が惜しくて、よく数えていた。 毎朝、コロコロで掃除するのが、日課になる。 せっかく胸まで伸ばしていた髪が、抜けて無くなるなんて、、 自分が自分でなくなりそうに感じて恐怖だった。 柔らかくてストレートの髪質や、栗色の髪が好きだったのに、抜けてまた新しく生えてくると、髪質が変わる人もいると聞いて、ものすごく落ち込んだ。 人によって違うと思うけれど、女性の私にとっては、抗がん剤の副作用の脱毛で、体毛、特に髪の毛が全て抜けてしまうことは、すごく重要な問題だった。 看護師さんと相談して、バンダナ、帽子、かつら、ウィッグなどしている患者さんのことを教えてもらった。 より自然に見えるようにという希望で、ウィッグに帽子を被ったらいいかもと提案してもらい、早速、母親にウィッグと帽子を買ってきてもらった。 毛先がカールした、可愛いハーフウィッグに、ニット帽を被って、二つに結んだり、三つ編みにしてみると、すごく自然でいい感じになった。 自分の髪の毛が無くなっても、このウィッグで、長い髪の毛のある気持ちを保てて、オシャレも楽しめる。 ウィッグと帽子のおかげで、脱毛のショックが、少し和らいだ。 ただ、ごそっと大量に抜けてしまうのが怖くて、その時自分がどうなってしまうのかと心配で、ブラシでといたりシャンプーは我慢して、外泊の時に家で処理したいと思った。 抜けた髪の掃除が大変だから、みんな短くカットすると聞いて、妹に頼んで、長い髪をセミロングくらいに、クリーンのベッドでカットしてもらった。 みんなもっと短くするみたいだけど、髪を短くするのに抵抗があって、できなかった。 抜けにくいように、ゴムで結んでいた。 抗がん剤治療の点滴が終わると、副作用の