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一筋の光~天使との出会い~

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どうやったら病気や死の恐怖心が癒されて、心が穏やかに生きていけるのだろう? 白血病退院から一年が経過した2005年頃、維持療法を続けていく中で、病気への不安は心の大きな部分をしめていた。 生存率や予後の数字の恐怖から自分を救うために、どうしたらいいのか? 白血病の闘病生活で精神にダメージを受けて、精神科に入院された方がいると聞いた。 お坊さんでさえ、今までの修行は何だったんだろうと思うほど、辛かったという話を聞いて、それほど白血病の闘病は過酷なんだと改めて思った。 家族でもなかなか辛さを理解されず、孤独になってしまう。 一人で思い悩んで辛くなった時は、白血病のサイトの掲示板などで、同じM3の患者さん達と繋がって情報交換をしたり、白血病の電話相談窓口で悩みを相談した。 同じ境遇の人や先輩患者さんとの繋がりで、自分一人じゃないんだと、ネットがある時代で本当に良かったと思った。 そしてML(メーリングリスト)で白血病の先輩患者さんから、「病気のことを考えて毎日を過ごすよりも、楽しいことを考えて過ごすといいよ」と鍵となる言葉をもらった。 もう病気のことから離れて、楽しいこと、好きなことをして生きていこうと思った。 (参考記事: 生存率・予後~数字の恐怖~ ) もう二度と病気にならないと信じて、入院中に使用していた物を整理した。 ほとんど使用しなかった、かつらは、誰かの役に立ってくれるといいなと思い、夏目雅子さんの「ひまわり基金」に寄付した。 なぜ自分は白血病を患ったのか? どうやったらこの苦しさが癒されるのか? 科学の世界には私が探していた答えが見つからなくて、目には見えない世界、スピリチュアルな世界にその答えがあるような気がして、興味を持つようになっていった。 白血病入院時から、普段は目に見えないものを見たり、夜中にブルーの光がびゅんびゅんと飛んでいるのを見たり、寝ていると誰もいないはずなのに、頭上から男性と女性の話し合っている声が聞こえてきたりした。 目覚めた瞬間、ご先祖様のような人が、枕元で見守ってくれていて目が合ってびっくりしたり、誰かが髪に触れる感覚など、不思議な体験は退院後も続いていった。 思えば小さい頃から、霊など不思議な存在を見たことがあった。 その当時は驚きと恐...

生存率・予後~数字の恐怖~

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白血病退院から一年が経過した頃、同時期に入院していた人たちの、再入院や天国に旅立たれた便りが届いてきた。 他人事ではなくて、大きなショックを受けた。 自分は大丈夫なのか? これからも元気で生きていけるのだろうか? そんな不安がよぎる。 不安を解消したくて情報を得ようと、ネット検索をすると、「生存率」というシビアで残酷な数字が突き刺さってくる。 生存率、再発率…… 頭から離れず眠れない。 恐怖に襲われた。 急性前骨髄球性白血病(APL・M3)のことを調べていると、白血病の発症初期の白血球の数値が、再発率や予後の重要なファクターになると知った。 自分の発症時のデータを見てふと疑問がわいた。 一番最初に受診した近医のクリニックでは、白血球の値は900と非常に低い数値だったのに、総合病院から転院して今の病院に来た時には、19100と非常に高い数値になっていた。 この白血球の不自然な上昇はなんだろう? 自分の場合は一番最初の低い数値か後の高い数値か、一体どの数値が指標となるのだろう? 疑問に思って、外来受診の時に主治医のDr.に聞いて、サマリーのコピーをもらった。 最初に緊急入院した総合病院で、900 → 3800 → 16500 とわずか3日間で急上昇していた。 Dr.は慎重に説明してくれた。 「白血球の数値が急上昇しているのは、転院前の病院で白血球を上げる注射G-CSF(ノイトロジン)を複数回打たれて、人工的に白血球が増やされていたから」 「そのせいで白血病細胞も増えてしまい、DIC(播種性血管内凝固症候群)の症状が悪化して、危険な状態になってしまった」 「もうちょっと早くうちの病院に来ていれば、もっといい状態のまま治療できて、あんなに強い寛解導入療法にはならず、もう少し楽な治療になっていた」 「それがあったから絶対治してあげようと必死だった」 ……ショックでハンマーで殴られたかのように頭がクラクラした 私が、「芽球のある骨髄性白血病患者にはG-SCFは禁忌と書いてあった」「これって医療過誤なんじゃないですか?」と聞くと、 Dr.は、「個人的にはミスに当たると思う…」「でもいろんな場合があるからそうと言えるかはわからない」と言葉を選びながら言った。 転院前...

維持療法(APL M3)~ベサノイドATRA~

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携帯電話が鳴った。 Dr.からだった。 「大丈夫?大変だったね」 「落ち込んでいるんじゃないかと思って…」 Dr.の優しい声を聞いて安心した。 泣きたくなるほど嬉しかった。 「来週外来に来れる?」 「維持療法した方がいいから」 「じゃあ、待ってます」 すごいタイミングで、Dr.から電話がきてびっくりした。 天からの救いのように思えた。 生きる希望がなかったけど、いつも私のことを心配して支えてくれるDr.がいる。 維持療法は辛いけど、Dr.がいるから頑張ろうと思った。 今の自分には、Dr.の存在が生きる支えで希望だった。 卵巣嚢腫の手術後、初めて外来に行った。 Dr.はいつもと変わらず優しく笑顔で迎えてくれた。 Dr.の顔を見て安心した。 維持療法 ・MTX(メトトレキサート)注射、週1 ・6-MP(ロイケリン)飲み薬 ・ATRA(ベサノイド)飲み薬  3か月に1回2週間服用を2年間 維持療法は当初3種類だったけど、MTX、6-MPの抗がん剤の副作用(吐き気 倦怠感)がきつく、飲めなくなって、半年間でMTXの注射と6-MPの飲み薬は終わった。 マルクでも異常はなく、それ以降はベサノイドのみの維持療法となり、ベサノイドは3か月に1回2週間を、2年間続けることになった。 退院後のマルクは腸骨からにしてもらった。 ベサノイドは、2週間続けて飲めばしばらく休めるので、副作用が出ながらもなんとか飲めた。 ベサノイドはM3の特効薬で、まだ情報も少なくて副作用などすごく不安もあった。 頭痛、吐き気、めまい、口腔内などの乾燥。 目の調子が悪くなったり、思いがけない副作用などが出たりして、Dr.とも電話やメールなどよく連絡をしていた。 通院している間に少しずつ体力も回復してきた。 けど疲れやすく無理がきかなくて、風邪など引くとなかなか治りづらかった。 しんどくなる度に、再発の恐怖に襲われて、精神的にはまだ不安定だった。 友人に会ったり、自然の中に出掛けることで、気分転換ができて、すごく癒された。 ある日、病院からの帰りにタクシーに乗ると、運転手さんになぜか芸能人に間違われた。 ウィッグ、帽子、マスクをしていると、全然病人とはわからないん...

卵巣嚢腫茎捻転~緊急手術~

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下腹部に痛みと違和感を感じた―― 白血病治療から退院して、2ヶ月後の2004年5月。 下腹部の痛みが気になって、病院で検査をしたら、左の卵巣嚢腫があることがわかった。 以前から不正出血があって、生理痛もひどかった。 白血病入院中に看護師さんから、 「一度婦人科で診てもらった方がいいよ」と言われていた。 退院したばかりで、ホッとしていたところに まさか卵巣の病気が発覚するなんて、思いもよらず、大きなショックを受けた。 婦人科のドクターに、捻じれたら大変だからと、手術を勧められたけれど、まだ白血病の入院治療が終わったばかりの病み上がりで、入院のトラウマもあるために、できれば手術はしたくないと躊躇していた。 ハンマーで殴られたような、ショックでフラフラになり、なんでこんなに大きな試練が、次々襲ってくるのか、自分の運命を恨みたくなった。 生きていても、病気にばかりなるなら、いっそこのまま死んだ方がましかもと、暗い気持ちになった。 検査結果を聞いた翌日、その時は突然やってきた。 下腹部の強い痛み、吐き気がして、もうこれはダメだと、検査をしてもらった近くの総合病院へ行くと、「茎捻転だから、すぐに手術をしないといけない」と言われ、緊急手術となった。 白血病の加療中患者ということで、婦人科のドクターが血液内科の主治医のDr.に連絡をとって、手術をしても大丈夫か確認をとってくれた。 本当は向こうの病院の方がいいけど、緊急性と、ちょうど婦人科のドクターが揃っているからと、そのまま即手術をしてもらうことになった。 家族に連絡して、母親が来てくれた。 腫瘍の大きさが、7.5cmにもなっていて、開腹手術のため半身麻酔をした。 生まれて初めての手術台。 半身麻酔で意識はあるので、すごく怖かった。 無事に手術は終わり、腫瘍は良性で、嚢腫の部分だけとって、残してくれた。 ずっと下腹部に痛み、違和感があって気持ち悪かったので、手術は怖かったけど、無事に終わってホッとした。 縫った傷口が痛い… 体にメスを入れるって、こんなに辛くて痛いんだとわかった。 白血病の抗がん剤治療の時は、手術で腫瘍をとれる病気は、すぐに退院できるから、そっちの方が血液疾患の治療よりいいかなと思っていた。 だけど、部分麻酔を...

白血病退院後の生活~QOL~

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退院となった、2004年3月下旬から、徐々に普通の生活を取り戻していった。 4ヶ月ぶりの外界の生活はとても新鮮で、コンビニのお会計で店員さんと接するのも、なんだかドキドキして浦島状態だった。 「ウィッグがばれてないかな?」 「病人とわからないかな?」 と周りの視線が気になった。 退院後のマルクで悪い細胞は消えていて安心した。 マルクの検査結果を聞くときは毎回ドキドキする。 血液データも回復した。 普通の人と同じように、生ものも食べられるようになった。 感染に注意して脅えて暮らさなくてもいいようになり、ひとつひとつ普通の生活ができるようになって嬉しかった。 数か月ぶりに食べたお寿司の味は、格別に美味しかった。 入院中に痩せて、体力も落ちて、日常生活をするだけで疲労感があった。 体力を戻すために、少しずつ散歩やヨガをするようになった。 心もスッキリして、とてもいい気分転換になった。 看護師さんには、「こんな辛い治療を乗り越えたんだから、もう怖いものはないよ」と言われたけれど、実際は、普通に悩んだり落ち込んだり変わらない。 逆に「死」や「病気」に対して、すごく恐怖心が生まれた。 体調に敏感になって、少しでも異常があると不安になる。 維持療法の副作用が辛くて、心折れそうになったり、芸能人の白血病発症や再発、亡くなられたニュースに動揺した。 4ヶ月の闘病生活で精根尽き果ててしまい、もうこれ以上は頑張れないと思った。 がんを患った人たちは、みんなこんな恐怖、不安を抱えながら生きているのだろうか? 心から安心感を得られるようになる日がくるのだろうか? 薬を飲まなくても、眠れるようになる日がくるのだろうか? 時々、現実逃避で空想の世界に入っていたり、また別の病気になってしまうんじゃないかと心配になった。 入院生活は人生の回り道で、また元の道に戻れるんだと思っていた。 だけど、実際は、それまでの人生のレールの列車は降りて、別の線路の列車に強制的に乗り換えて、新しい人生がリスタートしたように感じた。 以前の自分とは価値観も体も心も、全く別の世界を生きている。 普通の生活ができることに喜びを感じる反面、落ち込んだり、悩んだりすることも多かった。 歯科や眼...

白血病退院~桜吹雪~ 

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2004年3月下旬。 桜が咲き始め、春の訪れを感じる頃、退院が決まった。 まだデータが低くて、退院できないと思っていたけど、 Dr.から 「明日退院しますか?」 「これからデータは上がっていくから退院してもいいよ」 と言われ、急きょ退院することになった。 もう精神が限界になっていた。 クリーンルームから、なかなか出られなくて、「もう限界」とDr.に話したら、 「明日出れるようにします」 「本当はまだクリーンレベルだけど」と 私の精神面を考慮して、クリーンを解除してくれた。 大部屋でも退屈で、消灯時間も早くて眠れなかった。 夜はよくデイルームに行って、他の患者さんたちとTVを見たりしていた。 将棋があったけれど、もっとゲームや本など、リフレッシュできる空間があればいいのにと思った。 院長回診の時に、看護師さんに促されて、携帯やネットの電波が悪くて不便なことを伝えたり、Dr.や看護師さんにも言っていたけど、病院の環境自体は退院まで改善されなかった。 とても窮屈な長い入院生活に、もういっぱいいっぱいになってしまっていた。 ようやく夢にまでみた退院だ! 嬉しい! 本当によく頑張った! 一時期は「もう治療できない」と絶望したけど、Dr.、看護師さん、患者さん、家族、友人 いろんな人の支えのおかげで、こんな私でもなんとか乗り越えることができた。 いろいろあるけど、家族がいてくれて本当に良かった。 母親がお見舞いに来てくれて、退院が決まったことを話すと驚いていた。 2003年11月、緊急入院した前の病院では、「もう危ない」と言われていたようで、家族は覚悟をしていたと聞いた。 でもこの病院に転院した時、真っ先に「治りますか?」と聞いたら、Dr.は「治りますよ」と言ってくれたので、家族は安心したと。 私も転院前の先生に 「あと3日、もつかどうか」と 余命宣告された時は、真っ暗になった。 だけど、この病院にきて、Dr.の「治る可能性が高い」という言葉に希望が持てた。 もし転院が、あと1日でも遅ければ、どうなっていたのだろう? 奇跡的に転院できて本当に良かった。 神様やご先祖様のご加護を感じた。 Dr.や看護師さんも、父親や母親のように優しく見守...

地固め療法~3クール~

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無事に寛解となり、2003年12月末から、地固め療法が始まった。 抗がん剤投与→骨髄抑制クリーンルーム入室→血球が立ち上がるとクリーン解除大部屋へ→外泊してリフレッシュ この1クールが大体1ヶ月位で、3クール3ヶ月の地固め療法を行った。 始まる前は、寛解導入の時の副作用の辛さやトラウマで、ものすごく恐怖だったけど、Dr.が吐き気止めを強めに入れてくれて、大丈夫だった。 クリーンの時は、何度かパニック症状が出たりして、Dr.もできるだけ精神の負担がないように考慮してくれた。 クリーンから出たり、抗がん剤投与後の、まだデータが下がりきっていない間に、外泊をさせてくれた。 Dr.や看護師さんも、クリーンの時はよく部屋に来てくれて、いろいろ楽しく話をしたり、サポートしてくれた。 キロサイドとノバントロン、ダウノマイシン、イダマイシン。 青色、赤色、橙色の抗がん剤を投与した。 体の倦怠感や眠れなくて、しんどかった。 白血球が下がっている間は、口内炎、歯痛、歯肉炎などいろいろ炎症が起こり、38~39度台の熱が出たりと辛かった。 髪の毛、まつ毛、眉毛、体毛の全てが抜けた。 ピアスの穴が、塞がってしまうのが嫌で躊躇していたら、Dr.に「大丈夫でしょう」と言われて、つけたままで消毒をしたら大丈夫だった。 1クール終えると、苦手な骨髄穿刺(マルク)をした。 地固め3クール目が始まる前には、髄注(ルンバール)もした。 背中に針を刺し、脳脊髄液に抗がん剤を入れる。 他の白血病患者さんからいろいろ聞いていて、不安だったけど、無事に終わった。 おしりや左足が、しばらくしびれてすごく怖かった。 病院にいると生死を強く感じた。 誰かが亡くなった時、廊下から大声で、ご家族の泣き声が聞こえてくる。 そんな日は、病棟がしんと静まりかえる。 普段は明るく過ごしている患者さんも、みんな心の中は、不安でいっぱいだ。 明日は我が身かもしれない。 そんな死の恐怖が常にあった。 だからいつも、外の世界に希望を見出して外泊を楽しみに頑張った。 外泊は合間合間にできて、リフレッシュできた。 お正月は、近所の神社に初詣に行けた。 病気が治るようにお願いしてお守りを買った。 両親もお守り...