投稿

8月, 2015の投稿を表示しています

維持療法(APL M3)~ベサノイドATRA~

イメージ
携帯電話が鳴った。 Dr.からだった。 「大丈夫?大変だったね」 「落ち込んでいるんじゃないかと思って…」 Dr.の優しい声を聞いて安心した。 泣きたくなるほど嬉しかった。 「来週外来に来れる?」 「維持療法した方がいいから」 「じゃあ、待ってます」 すごいタイミングで、Dr.から電話がきてびっくりした。 天からの救いのように思えた。 生きる希望がなかったけど、いつも私のことを心配して支えてくれるDr.がいる。 維持療法は辛いけど、Dr.がいるから頑張ろうと思った。 今の自分には、Dr.の存在が生きる支えで希望だった。 卵巣嚢腫の手術後、初めて外来に行った。 Dr.はいつもと変わらず優しく笑顔で迎えてくれた。 Dr.の顔を見て安心した。 維持療法 ・MTX(メトトレキサート)注射、週1 ・6-MP(ロイケリン)飲み薬 ・ATRA(ベサノイド)飲み薬  3か月に1回2週間服用を2年間 維持療法は当初3種類だったけど、MTX、6-MPの抗がん剤の副作用(吐き気 倦怠感)がきつく、飲めなくなって、半年間でMTXの注射と6-MPの飲み薬は終わった。 マルクでも異常はなく、それ以降はベサノイドのみの維持療法となり、ベサノイドは3か月に1回2週間を、2年間続けることになった。 退院後のマルクは腸骨からにしてもらった。 ベサノイドは、2週間続けて飲めばしばらく休めるので、副作用が出ながらもなんとか飲めた。 ベサノイドはM3の特効薬で、まだ情報も少なくて副作用などすごく不安もあった。 頭痛、吐き気、めまい、口腔内などの乾燥。 目の調子が悪くなったり、思いがけない副作用などが出たりして、Dr.とも電話やメールなどよく連絡をしていた。 通院している間に少しずつ体力も回復してきた。 けど疲れやすく無理がきかなくて、風邪など引くとなかなか治りづらかった。 しんどくなる度に、再発の恐怖に襲われて、精神的にはまだ不安定だった。 友人に会ったり、自然の中に出掛けることで、気分転換ができて、すごく癒された。 ある日、病院からの帰りにタクシーに乗ると、運転手さんになぜか芸能人に間違われた。 ウィッグ、帽子、マスクをしていると、全然病人とはわからないん

卵巣嚢腫茎捻転~緊急手術~

イメージ
下腹部に痛みと違和感を感じた―― 白血病治療から退院して、2ヶ月後の2004年5月。 下腹部の痛みが気になって、病院で検査をしたら、左の卵巣嚢腫があることがわかった。 以前から不正出血があって、生理痛もひどかった。 白血病入院中に看護師さんから、 「一度婦人科で診てもらった方がいいよ」と言われていた。 退院したばかりで、ホッとしていたところに まさか卵巣の病気が発覚するなんて、思いもよらず、大きなショックを受けた。 婦人科のドクターに、捻じれたら大変だからと、手術を勧められたけれど、まだ白血病の入院治療が終わったばかりの病み上がりで、入院のトラウマもあるために、できれば手術はしたくないと躊躇していた。 ハンマーで殴られたような、ショックでフラフラになり、なんでこんなに大きな試練が、次々襲ってくるのか、自分の運命を恨みたくなった。 生きていても、病気にばかりなるなら、いっそこのまま死んだ方がましかもと、暗い気持ちになった。 検査結果を聞いた翌日、その時は突然やってきた。 下腹部の強い痛み、吐き気がして、もうこれはダメだと、検査をしてもらった近くの総合病院へ行くと、「茎捻転だから、すぐに手術をしないといけない」と言われ、緊急手術となった。 白血病の加療中患者ということで、婦人科のドクターが血液内科の主治医のDr.に連絡をとって、手術をしても大丈夫か確認をとってくれた。 本当は向こうの病院の方がいいけど、緊急性と、ちょうど婦人科のドクターが揃っているからと、そのまま即手術をしてもらうことになった。 家族に連絡して、母親が来てくれた。 腫瘍の大きさが、7.5cmにもなっていて、開腹手術のため半身麻酔をした。 生まれて初めての手術台。 半身麻酔で意識はあるので、すごく怖かった。 無事に手術は終わり、腫瘍は良性で、嚢腫の部分だけとって、残してくれた。 ずっと下腹部に痛み、違和感があって気持ち悪かったので、手術は怖かったけど、無事に終わってホッとした。 縫った傷口が痛い… 体にメスを入れるって、こんなに辛くて痛いんだとわかった。 白血病の抗がん剤治療の時は、手術で腫瘍をとれる病気は、すぐに退院できるから、そっちの方が血液疾患の治療よりいいかなと思っていた。 だけど、部分麻酔を

白血病退院後の生活~QOL~

イメージ
退院となった、2004年3月下旬から、徐々に普通の生活を取り戻していった。 4ヶ月ぶりの外界の生活はとても新鮮で、コンビニのお会計で店員さんと接するのも、なんだかドキドキして浦島状態だった。 「ウィッグがばれてないかな?」 「病人とわからないかな?」 と周りの視線が気になった。 退院後のマルクで悪い細胞は消えていて安心した。 マルクの検査結果を聞くときは毎回ドキドキする。 血液データも回復した。 普通の人と同じように、生ものも食べられるようになった。 感染に注意して脅えて暮らさなくてもいいようになり、ひとつひとつ普通の生活ができるようになって嬉しかった。 数か月ぶりに食べたお寿司の味は、格別に美味しかった。 入院中に痩せて、体力も落ちて、日常生活をするだけで疲労感があった。 体力を戻すために、少しずつ散歩やヨガをするようになった。 心もスッキリして、とてもいい気分転換になった。 看護師さんには、「こんな辛い治療を乗り越えたんだから、もう怖いものはないよ」と言われたけれど、実際は、普通に悩んだり落ち込んだり変わらない。 逆に「死」や「病気」に対して、すごく恐怖心が生まれた。 体調に敏感になって、少しでも異常があると不安になる。 維持療法の副作用が辛くて、心折れそうになったり、芸能人の白血病発症や再発、亡くなられたニュースに動揺した。 4ヶ月の闘病生活で精根尽き果ててしまい、もうこれ以上は頑張れないと思った。 がんを患った人たちは、みんなこんな恐怖、不安を抱えながら生きているのだろうか? 心から安心感を得られるようになる日がくるのだろうか? 薬を飲まなくても、眠れるようになる日がくるのだろうか? 時々、現実逃避で空想の世界に入っていたり、また別の病気になってしまうんじゃないかと心配になった。 入院生活は人生の回り道で、また元の道に戻れるんだと思っていた。 だけど、実際は、それまでの人生のレールの列車は降りて、別の線路の列車に強制的に乗り換えて、新しい人生がリスタートしたように感じた。 以前の自分とは価値観も体も心も、全く別の世界を生きている。 普通の生活ができることに喜びを感じる反面、落ち込んだり、悩んだりすることも多かった。 歯科や眼