地固め療法~3クール~



無事に寛解となり、2003年12月末から、地固め療法が始まった。

抗がん剤投与→骨髄抑制クリーンルーム入室→血球が立ち上がるとクリーン解除大部屋へ→外泊してリフレッシュ

この1クールが大体1ヶ月位で、3クール3ヶ月の地固め療法を行った。


始まる前は、寛解導入の時の副作用の辛さやトラウマで、ものすごく恐怖だったけど、Dr.が吐き気止めを強めに入れてくれて、大丈夫だった。

クリーンの時は、何度かパニック症状が出たりして、Dr.もできるだけ精神の負担がないように考慮してくれた。


クリーンから出たり、抗がん剤投与後の、まだデータが下がりきっていない間に、外泊をさせてくれた。

Dr.や看護師さんも、クリーンの時はよく部屋に来てくれて、いろいろ楽しく話をしたり、サポートしてくれた。


キロサイドとノバントロン、ダウノマイシン、イダマイシン。
青色、赤色、橙色の抗がん剤を投与した。

体の倦怠感や眠れなくて、しんどかった。

白血球が下がっている間は、口内炎、歯痛、歯肉炎などいろいろ炎症が起こり、38~39度台の熱が出たりと辛かった。

髪の毛、まつ毛、眉毛、体毛の全てが抜けた。

ピアスの穴が、塞がってしまうのが嫌で躊躇していたら、Dr.に「大丈夫でしょう」と言われて、つけたままで消毒をしたら大丈夫だった。


1クール終えると、苦手な骨髄穿刺(マルク)をした。
地固め3クール目が始まる前には、髄注(ルンバール)もした。

背中に針を刺し、脳脊髄液に抗がん剤を入れる。

他の白血病患者さんからいろいろ聞いていて、不安だったけど、無事に終わった。

おしりや左足が、しばらくしびれてすごく怖かった。


病院にいると生死を強く感じた。

誰かが亡くなった時、廊下から大声で、ご家族の泣き声が聞こえてくる。

そんな日は、病棟がしんと静まりかえる。

普段は明るく過ごしている患者さんも、みんな心の中は、不安でいっぱいだ。

明日は我が身かもしれない。
そんな死の恐怖が常にあった。


だからいつも、外の世界に希望を見出して外泊を楽しみに頑張った。

外泊は合間合間にできて、リフレッシュできた。

お正月は、近所の神社に初詣に行けた。
病気が治るようにお願いしてお守りを買った。

両親もお守りを買って来てくれた。

外の空気はとても気持ち良かった。


人混みに出る時は、マスクを二重にして感染に注意した。

犬の散歩に公園に行ったり、職場に顔を出したり、免許の更新、歯医者、コンビニ、ショッピングセンターにも行った。

スタバのフラペチーノが、どうしても食べたくなって、生クリームに注意しながら食べることができた。

病院の食事は、あまり食べられなくて、外泊の時に、美味しいご飯を沢山食べた。


入院中は、一日が三日くらいに長く感じた。

毎日いろいろなことを考えていた。

これまでの人生のこと、死後の世界、楽しかった思い出、退院後にやりこと、会いたい人、行きたい場所、食べたいもの、未来への希望。

人間、自分のために頑張るのは、限界があると思った。

自分を支えてくれる、誰かのために頑張ろうと思うと、どこからかエネルギーが湧いてきて頑張れる。

自分には愛が必要だったんだとわかった。


看護師さんに「強くなったね」と言われた。

私がくじけた時に、看護師さんがDr.に相談すると
「くじけて当たり前」
「平気な人なんていない」
と言われたと話してくれて
「一緒に頑張ろう」と言ってくれた。


看護師さんは、よくクリーンや病室に来てくれた。

担当じゃない日も様子を見に来てくれたり、似顔絵を描いて持って来てくれたり、眠れないでいるとアロマや足湯や保温ブーツをしてくれて、すごく支えてもらった。


私のことをよく「姫」と呼ぶ、姉御肌の看護師さんに
「なんで姫って呼ぶんですか?」と聞いたら
「姫みたいだから」と言われた。

母親は、いつも私にきつくて
「あんた」や「あの子」と呼んで、バカにしたような物言いだったので、病院では先生も看護師さんも、すごく優しくて嬉しかった。


TVでは「白い巨塔」のドラマが放送されていた。

私は観る元気がなくて観ていなかったけど、他の患者さんや看護師さんたちはみんな観ていた。

看護師さんが
「Dr.って里見先生みたいじゃない?」
「外見は里見先生(江口洋介)と全然違うけど」
と笑って言っていた。

「私は里見先生派」と物まね付きでドラマの話をしてくれた。


たわいない話など、同年代の看護師さんたちと話す時間は楽しかった。

ただ同時に
「休みはどこどこへ遊びに行った」
「彼氏とスノボに行った」
とか聞くと、すごく羨ましくて胸がチクチク痛んだ。


長い綺麗な髪、健康な体。
仕事に恋愛、プライベートを謳歌している、看護師さんたちの姿は眩しくて、なんで私はこんなことになってしまったんだろうと、心の中はブルーになったりした。


Dr.とは、治療以外のプライベートな話や世間話など、色々な話をするようになった。

この病院に来る前のことや、家族のこと。

私が観たい映画や好きな映画の話をすると、何日後かには、観てくれて感想を話してくれた。

友人にも話さない家族のことなどを話したり、親友のように、世間話から深い話まで沢山した。

Dr.と話す時間が、一番癒されて元気の源だった。


「代わってあげたいけど、代わってあげられない」
クリーンルームのストレスでめげて、弱音を吐いた時、Dr.が言ってくれた言葉。


以前に言われた時は、慰めで言ってくれてるだけかなと思っていたけど、また静かに優しく真剣に言ってくれた。


その時、胸の奥のハートが、じんわり温かくなっていくのを感じた。

氷のように、固く冷たくなっていた私のハートが、どんどん温かくなって溶け出して、体全体が温かくなっていった。

初めての体験で、胸の奥にハートが確かにあるんだと驚いた。

「愛」って、こういう温かいものなんじゃないかなと思った。


白血病を患って、絶望したり、卑屈になったり、悲劇のヒロインになったりしたけど、Dr.の温かい言葉で、自分の中の何かが変わっていった。

こんなにも優しい言葉をかけてくれる、親にも、誰にも言われなかった言葉をくれるDr.のために、私は頑張りたい。

生きたいと思った。

いつも、私の弱さもわがままも受け入れてくれて、希望を持たせてくれる人。


こうしたらダメとか、私が落ち込むような、ネガティブなことは一切言わずに
「こうしたらもっといいよ」
「退院したら好きなことをしたらいい」
「もう二度と入院させない」
といつもポジティブな言葉をかけてくれていた。

いつしかDr.の存在が、とても大きな存在になっていた。

看護師さんにも「毎日来てくれる彼氏のよう」と言われた。


私の命も心も救ってくれた人。
私が恩返しできることは、無事に退院して、元気になっていく姿を見せることだと思った。

私が元気になって、白血病を克服したら、きっとDr.は、喜んでくれるんじゃないかなと思った。

だから頑張ろうと思った。


辛くなって泣いたり、クリーンルームから出て、非常階段で外の世界に出たくなる気持ちと葛藤する日もあった。


他の白血病患者さんや、他のチームの、私のことをよく知らない看護師さんからは
「わがまま」
「クリーンから出るなんて非常識」
「先生はray*ちゃんに甘すぎる」
だとか、色々言われたりすることもあったけど、私は自分の中の、限界ギリギリと闘って頑張った。


私もDr.も、無事に地固め治療をやり遂げるために、私の精神が崩壊しないように、必死に最善策を考えて臨んだ。

Dr.が大丈夫と判断したことは、絶対大丈夫だと信頼していた。

もし何かあっても、Dr.は治すと言ってくれてたし、こんなに熱心な先生の治療でダメだったら、それは本望だと思っていた。

他の人に何と言われようと、いつも優しく励ましてくれた。


辛くて苦しい時、アフリカや世界中の人たちや、今この時、病や飢えに苦しんでいる人たちに思いを馳せた。


一人でいると、自分だけが辛いと思ってしまうけど、この地球上には、懸命に生きようとしている人たちがいる。

私は、新薬が開発されて、治療ができているけど、治療方法もない難病と闘っている人たちがいること。

同じ白血病で、同じようにクリーンにいる人たちのこと。

辛いのは自分一人じゃない。


入院中ラジオや、音楽がいつもそばにあった。

『太陽』
『ハナミズキ』
『Jupiter』
『月のない夜 道のない場所』
『dacay』
慰め癒し励ましてくれた。

『Where Is The Love?』
『You Gotta Be』
『The Power Of The Dream』
『Don't You Worry 'Bout A Thing』
心と魂の栄養源。

『Man in The Mirror』
『Heal The World』
『Will You Be There』
『You Are Not Alone』
大好きなMichael、私のハート。

『What A Wonderful World』
寝る時に必ず聴いた心落ち着く曲。

また明日も良い日になることを祈って・・・


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