生存率・予後~数字の恐怖~



白血病退院から一年が経過した頃、同時期に入院していた人たちの、再入院や天国に旅立たれた便りが届いてきた。

他人事ではなくて、大きなショックを受けた。

自分は大丈夫なのか?
これからも元気で生きていけるのだろうか?

そんな不安がよぎる。


不安を解消したくて情報を得ようと、ネット検索をすると、「生存率」というシビアで残酷な数字が突き刺さってくる。

生存率、再発率……

頭から離れず眠れない。
恐怖に襲われた。


急性前骨髄球性白血病(APL・M3)のことを調べていると、白血病の発症初期の白血球の数値が、再発率や予後の重要なファクターになると知った。

自分の発症時のデータを見てふと疑問がわいた。

一番最初に受診した近医のクリニックでは、白血球の値は900と非常に低い数値だったのに、総合病院から転院して今の病院に来た時には、19100と非常に高い数値になっていた。


この白血球の不自然な上昇はなんだろう?

自分の場合は一番最初の低い数値か後の高い数値か、一体どの数値が指標となるのだろう?


疑問に思って、外来受診の時に主治医のDr.に聞いて、サマリーのコピーをもらった。

最初に緊急入院した総合病院で、900 → 3800 → 16500 とわずか3日間で急上昇していた。

Dr.は慎重に説明してくれた。

「白血球の数値が急上昇しているのは、転院前の病院で白血球を上げる注射G-CSF(ノイトロジン)を複数回打たれて、人工的に白血球が増やされていたから」

「そのせいで白血病細胞も増えてしまい、DIC(播種性血管内凝固症候群)の症状が悪化して、危険な状態になってしまった」

「もうちょっと早くうちの病院に来ていれば、もっといい状態のまま治療できて、あんなに強い寛解導入療法にはならず、もう少し楽な治療になっていた」

「それがあったから絶対治してあげようと必死だった」


……ショックでハンマーで殴られたかのように頭がクラクラした

私が、「芽球のある骨髄性白血病患者にはG-SCFは禁忌と書いてあった」「これって医療過誤なんじゃないですか?」と聞くと、

Dr.は、「個人的にはミスに当たると思う…」「でもいろんな場合があるからそうと言えるかはわからない」と言葉を選びながら言った。


転院前の病院は血液内科の専門医がいなくて、転院先が見つかるまで、対症療法のみをするということだったけれど、私の知らない間に、複数回もG-CSFを打たれていたなんて……。

思い返すと看護師さんが何度か「注射しますね」と、なんの説明もなく、注射しに来ていたことを思い出した。

担当内科の先生も「白血球は上げられない」と私に言っていたのに、まさかそんなことがあったとは知らなかった。


だから白血球と同時に芽球、悪い細胞が一気に増えて、あんなに急激に体調が悪くなってしまったんだ。

歯肉出血が止まらなくなったり、内出血、高熱が出たんだと知った。


後日、転院前の病院のカルテのコピーも取り寄せて確認した。
あの病院で容態が急激に悪くなったのは、打たれた注射 G-CSF(ノイトロジン)が原因だったんだとはっきりわかった。


怒り、悔しさ、恐怖が込み上げてきた。

幸い今の病院に転院でき、主治医の先生の治療のおかげで、無事に寛解となり退院できたけど、本当に危ない状態だったんだ。

もしあの時もう一日でも長くあの病院にいたら、命を落としていたかもしれないと思うと
背筋が凍りそうなほど恐ろしくなった。


ショックで愕然としながら帰宅した。

JALSGのサイトでAPL-97の治療成績を調べてみた。

最初の白血球の数値「900」の数値で見ると、JALSG APL-97のA~D群の最も予後の良いA群になるけれど、寛解導入療法前の数値で見ると1万を超えていて、完全寛解率、再発率共に治療成績が低いC群になってしまう。


私の場合は何群になるのかDr.に聞いてみると、
「ray*さんのように人工的に白血球を上げられた例はないので……」

「どちらかとは言えないけれど、治療は念のためC群のプロトコールで行った」と言われた

Dr.はすごく気を遣って、私が恐怖心に襲われないように、いい方に説明してくれたけど、治療がC群になったことは事実だった。


あのG-CSFの注射を打たれたことによって、予後のいいA群からハイリスク群のC群のプロトコールになってしまった。

一体なんてことをしてくれたんだと怒りがわいた。

専門医ではない医師による、たった一つの不適切な処置によって、治療内容、生存率、維持療法も全てが大きく変わってしまった。

私の命、人生を大きく左右する重要な出来事が、知らない間に行われていたんだとショックだった。


すごく悔しく思った。
医療、病院の体制に疑問がわいた。

現代の発達したインターネット環境がある情報社会の中で、なぜか病院の体制はネットワークが限られていて、個々の病院が分断されて、情報が共有されていない。

昔ながらの古い閉鎖的な体制になっている。

血液内科の専門医がいない病院なら、病院の垣根を越えて専門医に聞くことができれば、対症療法も違っていたかもしれない。

少なくともG-CSFは打たれずに済んだのに。


普通の一般の感覚で考えるとそう思うけど、医療の世界ではそうでないみたいだ。
病院や医師の面子、体裁……。

患者の命が最優先ではなくて、病院や医師の都合が優先されているように感じた。

悲しいし、悔しいけど『白い巨塔』の世界なんだと思った。


今 私が恐怖のどん底に突き落されて、G-CSF(ノイトロジン)の影、再発、死の恐怖におびえている時も、あの時、私にG-CSFを注射した、医師も看護師もきっとそんな出来事も忘れて、平和な日常を過ごしているんだと思うと、すごく腹が立って怒りに震えた。

こんなの絶対許せないと思った。


怒りと恐怖で気が狂いそうなほどになって、訴えることができるなら、訴えたいと思ったけれど、どんなに怒っても悔やんでも訴えても、注射を打たれてしまった事実、過去は変えられない。

悔しいけど、このままでは心身への影響がよくないと思った。

幸い今まで順調にこられている。

今はまだ退院して一年で、維持療法をしている大事な時だ。

このまま再発せず、完治できることを考えていきたい。

NK細胞を増やすために、楽しいことを考えて過ごしたいと思った。

ただもう二度と私のような患者さんがでないことを、願ってやまない。


そんな生存率などの数値にとらわれて、一喜一憂したり、頭から離れず苦しんでいた時、血病や血液疾患の患者さんや関係者からなる、ML(メーリングリスト)があると知って、思い切って投稿してみた。

先輩患者さん達からいろんな温かい励ましのメールをもらった。

どのメールもとても参考になって、やっぱり経験者、病気の苦難を乗り越えてきた人たちの言葉は、全然パワーが違うと思った。


中には、私と同じく発症時に白血球が少なくて、白血球を上げる薬(グラン)を初期に打たれた後、すぐに転院になったという人(ALL)もいた。

骨髄性の場合は禁忌だけど、他の場合はそういう処置もあるのか?

専門的なことはよくわからないけど、同じような人もいるんだと知った。


いろんなメールの中にとても印象的な言葉があった。

「生存率などの数値は、全体からみての数値であって、患者一人一人の個人でみると、再発するかしないか、0か100か二つに一つしかない。だから数字や病気のことを考えて毎日を過ごすよりも、楽しいことを考えて過ごすといいよ!」

その言葉にハッとした。
すごく心が楽になった。

本当にそうだ。
医師の側からみると、生存率、再発率、完治率は何%だとか、患者一人一人の人生をデータ化して数字にされてしまうけど、私たち一人一人にとっては、生きるか死ぬか、再発するかしないか、完治するかしないか、二つに一つしかないのだ。


だからもうこのデータ化された数値にとらわれて、欝々とした気持ちになるよりも、元気に生きられている毎日を楽しく過ごすことが重要だと思った。


それからはいい意味で開き直って、前向きにいこうと意識がガラリと変わった。


白血病の先輩患者さん達から言葉をもらって、楽しいことを考えて過ごすことが、鍵なんだと思った。

病気から5年10年と元気に過ごしている人たちの言葉は、とてもポジティブで、心に響いて勇気づけられた。

私もこれから5年後、10年後も元気でいたい。
完治したいと思った。


楽しいこと、好きなことってなんだろう?

音楽を聴いたり、映画を観たり、ゲームをしたり、いろいろ気分転換をしていても、やっぱりふとした時に、病気のことがよぎったり、夜は不安になって眠れなくなってしまう。


心が平和でいられるためにはどうしたらいいのか?

一度きりの人生を楽しく生きたい。
自分にとって、救いとなるものは何かを、探し求めていた。


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