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旧ブログより移転してきました。 ブログの更新、全然できていないのですが、過去の記事を残しておきたくて、こちらに移しました。 どうぞよろしくお願いいたします。 今年も残りわずかになってしまいましたが、昨年末から今年と、心身共にとてもハードな一年を過ごしていました。 昨年の今頃は、愛犬とのお別れで、何もやる気が起こらず、体調も崩していました。 今年に入ってからも、2016年は数秘術の完結、完了を意味する「9」の年、乙女座木星のエネルギーも加わって、心身の浄化が大変でした。 (前回、木星が乙女座に入っていた2003~2004年は白血病を患って、入院治療している時期でした) 今までの自分の生活習慣、食事、人間関係、肉体、感情などすべての面で見直しがかかり、今までと同じようにはできなくなり、本当に必要なもの以外、すべて手放していくという毎日の連続でした。 そして「9」月に入り、アセンションシフトの嵐のような、強い浄化のエネルギーにさらされ、今まで経験したことのない、ライトボディへの変容に見舞われました。 今までやってきたことの総決算のような、最終試験のような感じで、スピリチュアル、ヒーリング、リーディング、エッセンス、ホメオパシー、アロマ、ハーブ、クリスタル、ヨガ、瞑想、呼吸法、自然、タロット、オラクルカード、色、音、ソルフェジオ周波数、マントラなど、五感、第六感をフル活用して、なんとか自分を保っていられるという状態でした。 自分の中にある、死、孤独、分離意識などの恐れの幻想から、目覚めさせられるような試練の連続で、何度も神様に、「もうこれ以上無理です!助けてください!」とヘルプし、サレンダーしました。 何もできなくなって、ただ祈り、マントラを唱えて、ハンドヒーリングで自分を癒していました。 左手は陰(受信・浄化)で、右手は陽(送信・ヒーリング)。 両手を合わせて統合したり。 ハンドヒーリングでお腹の中にいる、インナーチャイルドと繋がることができて、おへそには宇宙と繋がるコードがあると気づいたり。 そして、もうこのままでは、本当に自分が無くなってしまうと思うところまで到達して、もう抵抗するのを止めようと、ただただ宇宙と共にいようと。 宇宙と共にいる限り、天命までは絶対に死なないし、もし死...

闘病記あとがき~白血病完治~

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2003年11月に、「急性前骨髄球性白血病(APL M3)」と診断され、入院したあの日から、12年が経ちました。 今もこうして元気に生きています。 入院していた当時は、自分の5年後10年後の姿なんて想像できなくて、この世に生きていられるのかさえわからなくて不安だったあの頃のことを、今でも時々思い出します。 発症当時は「白血病」というと、不治の病のイメージが強くて、実際に周りでも、亡くなられた方を知っていたので、本当に自分が完治できるのか不安でした。 ネットでも、今ほどブログなどで書かれている人も少なくて、完治した人のブログなどほとんどなくて、一体これから私の人生はどうなるのだろうと、未来がなかなか見えずにいました。 だけどネットで闘病記など発信されている方が、少ないながらもいたおかげで、すごく心強く、自分一人じゃないんだと、励まされました。 白血病の闘病は、患者さんの割合も少なくて、治療も無菌室やクリーンルームなど、狭い世界の中で、孤独になってしまうことが多いので、ネットという広い世界と繋がるツールがある時代で、本当に良かったと思いました。 まさか自分もブログで闘病記を書くことになるなんて、思いもしませんでした。 でも、自分を癒していく過程で、天使たちの導きから、自分の中の闇を吐き出して、昇華していく流れになり、闘病時から10年以上の時を経て、当時のことを書くことになりました。 当時書き留めていた手帳やノート、血液データ表、取り寄せた入院カルテのコピーなどを元に、記憶をたどって書いていきました。 もう10年以上も前のことなので、鮮明に覚えている事、だいぶ忘れてしまっている事もありました。 また治療方法や医療の世界も、私の頃とは、随分変わってきているだろうと躊躇する気持ちがありました。 まるでパンドラの箱を開けるような恐怖心もあり、最初の頃は、本当に最後まで書けるのか、全く自信がありませんでした。 ただ時々、TVなどで、白血病やがんを患って、真っ暗になってしまった人。 戸惑い、不安、恐怖を抱えている人の姿を見ると、当時の自分を見ているようで、もし何か書くことで、誰かの希望になれたらいいなと。 そして何より自分自身を救うために、過去から解放されたくて書こうと思いました。 書...

エピローグ~桜の時~

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大好きな桜の季節がきた。 白血病退院から4年経った2008年の春。 定期検査の日がきた。 病院へ向かう道中、感慨深い気持ちでいた。 まだ4年で完治とは呼べないのかもしれないけれど、自分の中ではもう絶対大丈夫と信じていた。 出会いと別れ。 卒業、入学、新生活。 植物たちが色とりどりに芽吹いてくる、この季節が好きだ。 毎年桜の季節になると思い出す。 2004年白血病退院した日のこと。 綺麗な桜吹雪を見たこと。 緊急入院、転院、告知、怒涛の闘病生活。 そしてDr.との日々を思い返していた******** 「ray*さんが入院した日のことは、よく覚えている」 「入院した頃、精神的にすごく不安定で一人ぼっちに見えた」   「たいがいの患者さんには献身的に支えてくれる人がいて、医者の役割は限られているけれど、ほとんど支えてくれる人がいないように見えた」 「だから自分が何とかしてあげなければと思った」 「必要としてくれる人がいるなら、頑張ろうと乗り越えられた」 「ray*さんと、とりとめのない話ができる時間はすごく癒された」 「あの時期、ray*さんが生きるための意味であり救いだった」 「論文のリプリントを渡した時、この人にもらってもらえるなら、研究への想いも諦められると思った」 入院中の私は、絶望と恐怖のどん底にいた。 孤独で絶対的な希望もなくて、でも死ぬのも怖くて、闘う勇気もなくて、どこにも逃げ場がなくて、どうしていいかわからない状態だった。 でもDr.や看護師さんがすごく優しくしてくれて、一生懸命励ましてくれて、自分のためにすごく熱心にやってくれている姿を見て感動した。 自分のためにこんなに頑張ってやってくれている人がいるのなら、私はこの人たちの力を借りて、頑張って乗り越えられるかも。 この人たちの力を無駄にしたくない。 頑張っていこうと思えた。 そしてDr.がかけてくれた言葉 「代わってあげたいけど、代わってあげられない」 この言葉を聞いた時、氷のように冷たくなっていた私のハートが、じんわり温かくなっていった。 こんなに優しい言葉をかけてくれる先生がいるなら頑張れる。 この人と出会えて良かった。 頑張って退院して、元気にな...

一筋の光~天使との出会い~

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どうやったら病気や死の恐怖心が癒されて、心が穏やかに生きていけるのだろう? 白血病退院から一年が経過した2005年頃、維持療法を続けていく中で、病気への不安は心の大きな部分をしめていた。 生存率や予後の数字の恐怖から自分を救うために、どうしたらいいのか? 白血病の闘病生活で精神にダメージを受けて、精神科に入院された方がいると聞いた。 お坊さんでさえ、今までの修行は何だったんだろうと思うほど、辛かったという話を聞いて、それほど白血病の闘病は過酷なんだと改めて思った。 家族でもなかなか辛さを理解されず、孤独になってしまう。 一人で思い悩んで辛くなった時は、白血病のサイトの掲示板などで、同じM3の患者さん達と繋がって情報交換をしたり、白血病の電話相談窓口で悩みを相談した。 同じ境遇の人や先輩患者さんとの繋がりで、自分一人じゃないんだと、ネットがある時代で本当に良かったと思った。 そしてML(メーリングリスト)で白血病の先輩患者さんから、「病気のことを考えて毎日を過ごすよりも、楽しいことを考えて過ごすといいよ」と鍵となる言葉をもらった。 もう病気のことから離れて、楽しいこと、好きなことをして生きていこうと思った。 (参考記事: 生存率・予後~数字の恐怖~ ) もう二度と病気にならないと信じて、入院中に使用していた物を整理した。 ほとんど使用しなかった、かつらは、誰かの役に立ってくれるといいなと思い、夏目雅子さんの「ひまわり基金」に寄付した。 なぜ自分は白血病を患ったのか? どうやったらこの苦しさが癒されるのか? 科学の世界には私が探していた答えが見つからなくて、目には見えない世界、スピリチュアルな世界にその答えがあるような気がして、興味を持つようになっていった。 白血病入院時から、普段は目に見えないものを見たり、夜中にブルーの光がびゅんびゅんと飛んでいるのを見たり、寝ていると誰もいないはずなのに、頭上から男性と女性の話し合っている声が聞こえてきたりした。 目覚めた瞬間、ご先祖様のような人が、枕元で見守ってくれていて目が合ってびっくりしたり、誰かが髪に触れる感覚など、不思議な体験は退院後も続いていった。 思えば小さい頃から、霊など不思議な存在を見たことがあった。 その当時は驚きと恐...

生存率・予後~数字の恐怖~

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白血病退院から一年が経過した頃、同時期に入院していた人たちの、再入院や天国に旅立たれた便りが届いてきた。 他人事ではなくて、大きなショックを受けた。 自分は大丈夫なのか? これからも元気で生きていけるのだろうか? そんな不安がよぎる。 不安を解消したくて情報を得ようと、ネット検索をすると、「生存率」というシビアで残酷な数字が突き刺さってくる。 生存率、再発率…… 頭から離れず眠れない。 恐怖に襲われた。 急性前骨髄球性白血病(APL・M3)のことを調べていると、白血病の発症初期の白血球の数値が、再発率や予後の重要なファクターになると知った。 自分の発症時のデータを見てふと疑問がわいた。 一番最初に受診した近医のクリニックでは、白血球の値は900と非常に低い数値だったのに、総合病院から転院して今の病院に来た時には、19100と非常に高い数値になっていた。 この白血球の不自然な上昇はなんだろう? 自分の場合は一番最初の低い数値か後の高い数値か、一体どの数値が指標となるのだろう? 疑問に思って、外来受診の時に主治医のDr.に聞いて、サマリーのコピーをもらった。 最初に緊急入院した総合病院で、900 → 3800 → 16500 とわずか3日間で急上昇していた。 Dr.は慎重に説明してくれた。 「白血球の数値が急上昇しているのは、転院前の病院で白血球を上げる注射G-CSF(ノイトロジン)を複数回打たれて、人工的に白血球が増やされていたから」 「そのせいで白血病細胞も増えてしまい、DIC(播種性血管内凝固症候群)の症状が悪化して、危険な状態になってしまった」 「もうちょっと早くうちの病院に来ていれば、もっといい状態のまま治療できて、あんなに強い寛解導入療法にはならず、もう少し楽な治療になっていた」 「それがあったから絶対治してあげようと必死だった」 ……ショックでハンマーで殴られたかのように頭がクラクラした 私が、「芽球のある骨髄性白血病患者にはG-SCFは禁忌と書いてあった」「これって医療過誤なんじゃないですか?」と聞くと、 Dr.は、「個人的にはミスに当たると思う…」「でもいろんな場合があるからそうと言えるかはわからない」と言葉を選びながら言った。 転院前...

維持療法(APL M3)~ベサノイドATRA~

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携帯電話が鳴った。 Dr.からだった。 「大丈夫?大変だったね」 「落ち込んでいるんじゃないかと思って…」 Dr.の優しい声を聞いて安心した。 泣きたくなるほど嬉しかった。 「来週外来に来れる?」 「維持療法した方がいいから」 「じゃあ、待ってます」 すごいタイミングで、Dr.から電話がきてびっくりした。 天からの救いのように思えた。 生きる希望がなかったけど、いつも私のことを心配して支えてくれるDr.がいる。 維持療法は辛いけど、Dr.がいるから頑張ろうと思った。 今の自分には、Dr.の存在が生きる支えで希望だった。 卵巣嚢腫の手術後、初めて外来に行った。 Dr.はいつもと変わらず優しく笑顔で迎えてくれた。 Dr.の顔を見て安心した。 維持療法 ・MTX(メトトレキサート)注射、週1 ・6-MP(ロイケリン)飲み薬 ・ATRA(ベサノイド)飲み薬  3か月に1回2週間服用を2年間 維持療法は当初3種類だったけど、MTX、6-MPの抗がん剤の副作用(吐き気 倦怠感)がきつく、飲めなくなって、半年間でMTXの注射と6-MPの飲み薬は終わった。 マルクでも異常はなく、それ以降はベサノイドのみの維持療法となり、ベサノイドは3か月に1回2週間を、2年間続けることになった。 退院後のマルクは腸骨からにしてもらった。 ベサノイドは、2週間続けて飲めばしばらく休めるので、副作用が出ながらもなんとか飲めた。 ベサノイドはM3の特効薬で、まだ情報も少なくて副作用などすごく不安もあった。 頭痛、吐き気、めまい、口腔内などの乾燥。 目の調子が悪くなったり、思いがけない副作用などが出たりして、Dr.とも電話やメールなどよく連絡をしていた。 通院している間に少しずつ体力も回復してきた。 けど疲れやすく無理がきかなくて、風邪など引くとなかなか治りづらかった。 しんどくなる度に、再発の恐怖に襲われて、精神的にはまだ不安定だった。 友人に会ったり、自然の中に出掛けることで、気分転換ができて、すごく癒された。 ある日、病院からの帰りにタクシーに乗ると、運転手さんになぜか芸能人に間違われた。 ウィッグ、帽子、マスクをしていると、全然病人とはわからないん...

卵巣嚢腫茎捻転~緊急手術~

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下腹部に痛みと違和感を感じた―― 白血病治療から退院して、2ヶ月後の2004年5月。 下腹部の痛みが気になって、病院で検査をしたら、左の卵巣嚢腫があることがわかった。 以前から不正出血があって、生理痛もひどかった。 白血病入院中に看護師さんから、 「一度婦人科で診てもらった方がいいよ」と言われていた。 退院したばかりで、ホッとしていたところに まさか卵巣の病気が発覚するなんて、思いもよらず、大きなショックを受けた。 婦人科のドクターに、捻じれたら大変だからと、手術を勧められたけれど、まだ白血病の入院治療が終わったばかりの病み上がりで、入院のトラウマもあるために、できれば手術はしたくないと躊躇していた。 ハンマーで殴られたような、ショックでフラフラになり、なんでこんなに大きな試練が、次々襲ってくるのか、自分の運命を恨みたくなった。 生きていても、病気にばかりなるなら、いっそこのまま死んだ方がましかもと、暗い気持ちになった。 検査結果を聞いた翌日、その時は突然やってきた。 下腹部の強い痛み、吐き気がして、もうこれはダメだと、検査をしてもらった近くの総合病院へ行くと、「茎捻転だから、すぐに手術をしないといけない」と言われ、緊急手術となった。 白血病の加療中患者ということで、婦人科のドクターが血液内科の主治医のDr.に連絡をとって、手術をしても大丈夫か確認をとってくれた。 本当は向こうの病院の方がいいけど、緊急性と、ちょうど婦人科のドクターが揃っているからと、そのまま即手術をしてもらうことになった。 家族に連絡して、母親が来てくれた。 腫瘍の大きさが、7.5cmにもなっていて、開腹手術のため半身麻酔をした。 生まれて初めての手術台。 半身麻酔で意識はあるので、すごく怖かった。 無事に手術は終わり、腫瘍は良性で、嚢腫の部分だけとって、残してくれた。 ずっと下腹部に痛み、違和感があって気持ち悪かったので、手術は怖かったけど、無事に終わってホッとした。 縫った傷口が痛い… 体にメスを入れるって、こんなに辛くて痛いんだとわかった。 白血病の抗がん剤治療の時は、手術で腫瘍をとれる病気は、すぐに退院できるから、そっちの方が血液疾患の治療よりいいかなと思っていた。 だけど、部分麻酔を...